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2015年08月07日

生の夏☆

僕は講座やワークショップで…「生のものを見よう」と言っております。

舞台はもちろん、生で見た方が俳優や声優を目指す人にとっては刺激の受け方が映像を通してよりも、比較にならないくらい、衝撃的だとおもいますし、機会があれば、収録現場や公開録音などでのラジオDJの方や声優さん、役者さんの声量や声の響き、ライブ感なんていうものを感じるのはとても大事なことだと思います。

少しお芝居から離れて、「刺激をうける」ということを観点に考えた時に、『館』とつくような場所はそのような刺激をうけるのには絶好だと考えています。

水族館、美術館、博物館、図書館、映画館・・・

映画館もいいのですが、ちょっとここでは「生」ということに着眼していくと、
泳いでいる魚が間の前にいる、
絵画が油絵が目の前にある、
江戸時代のお姫さまが使っていた道具がすぐそこに・・・
などという事実から、
泳いでいる魚の習性だったり、魚類についての知識だったり、泳ぐ姿そのものだったり、所謂、有名画家の絵画、彫刻についての知識、装飾品の美しさ、歴史感のある使い古された道具について、新品の時はいかようだったか、どんな使われ方をしたのか・・・
などなど、気づいたり、感じたりすることが多様にあるように思われます。

以上の事から、「館」とつくもの、(つかなくても、動物園などの)『生』に触れられる場所というのは感性を刺激し、想像力を高めるのにはもってこいだと思います。

見て、聞いて、嗅いで、可能であれば触れてみて。
感覚を全て使って感じてみる事が大事だと考えています。
お芝居では、やはり全身を使います。
見たもの、聞いたもの、感じたものを自分の表現に反映される、感性を磨くというのは必要不可欠に感じます。

2015-08-04a.jpg仕事場から見えた花火です☆
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2015年07月31日

色々なジャンルの本を読もう!

色々なジャンルの本を読む事はお芝居をしていく上で非常に大事な事だと考えています。

2015-07-31.jpg

勿論、自分の好きなジャンルの本を読む事もさることながら、苦手とするジャンルも網羅すると良いと考えます。
何故ならば…お芝居の中では、色々なジャンルの物語、色々な職業の役が存在するからです。
自分が好きなジャンルの物語をいつもできるとは限りません。
自分が知っている職業の役ばかりが来るとも限りません。
反対に、自分がやりたいジャンル、自分がやりたい・出来る役だけやっていると…
自分の出来る事が知らず知らずのうちに狭まってくると思うのです。

作品や役は…
自分がやりたい、自分ができる、自分ができない、自分が苦手、自分が求められている…
これはそれぞれ違うと思うのです。

また、自分が今まで触れていなかったジャンルの本を読むことによって、知識もそうですが…自分が得意すると物語や役のヒントが隠されている場合もあります。

更に時代を超えて(時代物という意味ではなく)同じジャンルでも新旧、または国をまたいで読み、そこから感ずるモノを心に留めておくというのは役者の練習のうちの基本であり、色々ある練習方法の一つであると私は考えています。
posted by 新和座制作部 at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

わけがわからない動作しちゃダミだよ〜ちみぃ〜

もういくつ寝ると・・・8月です。。。
暑いのもさることながら…時が経つのは本当に早いです、、、
あれもしたい、これもしたい…
この暑さでぐで〜っとなってしまいそうですが…しっかりと目標を持ってやっていこうと思います☆

さてさて、今日は『理由』ということについて考えてみました。

私は常々、
「役のしぐさや科白を含めた行動にはかならず理由と根拠は必ずある」
と考えています。


私たちが普段生活していて、なにげなく行っている行動も”必要”にかられて行動しているのではないでしょうか。それが理由であり、根拠であるわけです。

2015-07-30.jpg習慣となっているから、というのも理由の一つではあります。
例えば歯磨き。
歯磨きをすれば、歯が強くなり、歯の病気も防ぐ事ができますよね、衛生的にも良い事です。
しかし、これを毎日認識しながらやることは少ないと思います。
習慣になっている事も実は根拠と理由があってやっている事だと思うのです。

また、同じ歯磨きでも・・・
「今日はキスしちゃうかも」
というような日の歯磨きはかなり念入りでないですか?
歯を強くするとかよりも、口臭を気にして磨く事が多いのではないでしょうか〜

同じ行動でも理由が違う事がありますよね。

役を研究することは脚本をよく読み込むことが大前提だと思います。
その役の心理、背景を十二分に研究して、科白、(ト書き、ト書き外も含めた)行動というもの一つ一つに理由、根拠を見つけだし、(他の役や時間の異なった場合の)同じ行動でも一つ一つ丁寧にその行動(台詞や仕草)について考え、検証していていくことが大事だとかんがます。また、そうするからこそ、その役に愛着がわくと思うのです。

しかしながら、その理由は「(役者が)やりたいから」ではちょっと不確かになってしまう気がしています。
演出や作品のテーマを噛み砕きつつ、役者同士間、演出役者間などで関係性や理由や根拠について十二分に、幾度となく、話し合いたいものだと私は考えています。

役を研究する際には、その台詞/仕草の一つ一つについて理由を深く探して行くことが肝要だと考えています。
ラベル:動作 仕草 台本
posted by 新和座制作部 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月10日

Failure

関東地方…昨日と打って変わって晴天…しかしながら…温度が高かったです。
大阪の方では熱中症の症状が出た生徒さんもいたとか…また沖縄の方では台風の被害が多かったようです。
1日も早く良くなりますようにお祈り申し上げます。

さて、今日は『失敗』ということについて考えてみたいと思います。

俳優も演出家もスタッフも…人間ですから失敗をします。
だからと言って失敗をしても良い、と言うような考えで取り組むと…仕事が無くなってしまう場合もあります。

僕は「失敗は仕方ない」と思いますが、「失敗をしても良い」とは思いません。
と同時に「失敗を恐れてはいけない」と考えています。
2015-07-10.jpgどんな仕事でも同じだと思いますが…「リスク」や「失敗」を考えながら仕事をしても良い結果には結びつかない事があります。もちろん、仕事をしていく上で大事なのが…起こりえる失敗をどのように補完するかと言う事が一番大事です。
また、そうした『補完』のことばかり考えていると…本来の仕事の目的が達成できなくなってしまう場合もあります。

とってもバランスが難しいのですが…
こうした「失敗を恐れずに向き合うこと」というのは挑戦する気持ちがないと続きません。
そして、常に、「もっと尖ってやる」とか「もっと上手くなってやる」とか「もっと早くやってやる」などなどの気持ち…”もっと”の気持ちが必要不可欠です。
さらに、その仕事に取り組む気持ち、真剣さも併せ持つ必要があると考えます。

僕は仕事の上で、自分が求められている事は遂行します。
それ以上の結果を出せるように最善を尽くします。
その時には「失敗を恐れません」
しかし、うまくいくかどうかわからない時、練度が上がっていないもの、練習していないものについては…
そのまま出すような事はしません。

チャレンジする心は非常に大事です。
が…仕事、公演、講座…それぞれの場にあった行動をし、
本来の目的にあった結果を残す事が大事だと考えています。

また、真剣に取り組むからこそ…もし、失敗しても経験になると考えています。
練習も信念もなく、単に’間違えた’というような出来事には…思い出にはなっても経験にはならないと考えています。

1日1日の稽古、講座の時、創造時間、紙に向かう時間…
常に挑戦する気持ちと真剣さ・目的を目の前に行動する事が起こりえる失敗に対する対処の根源だと僕は考えています。

※長谷川奈美は別仕事のため記事はお休みです。次回の掲載にご期待ください♪
ラベル:失敗 経験
posted by 新和座制作部 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

これぞだいじな・・・

夏至も過ぎ…夏本番を待つばかりとなってきました!
本当に一年って…時間の経つのは早いものです!!!

さてさて、今日は台本の中にある『大事な箇所』というテーマで書いていきたいと思います。

何の大事な箇所かと言えば…
台本の中で見落としがちでそれでいて大事な箇所です。
それは・・・
『…』だったり『―――』という箇所です。


最近は常識にもなりつつある、メールやラインのやりとり。
とあるもらったメールのタイトルが
『実は』
というのと
『実は…』
というとのでは
印象が違ってきます。
後者の方がなにか意味ありげです。

閑話休題。
台本や脚本の、特に台詞の部分に現れる『・・・』と『―――』。
2015-06-23.jpg私はこういうダッシュや三点リーダが出てきた時こそ、役者さんが想像し創造する一番のポイントだと考えています。

これは単に黙るということではなくて、
ある時は言葉につまり・・・
ある時は相手を見つめたり・・・
ある時は空想、回想をしている―――。

思いを巡らせる時間であり、思いをある種覚悟する時間/空間ではないかと考えています。

そんな時だと思うわけです。その台詞をしゃべっている人のみならず、全ての役がその『・・・』や『―――』で何かしらの動きや気持ち、仕草を創造できたらそれこそ、そこにしか生まれない空間、アンサンブルができるのではないかと考えています。

この『・・・』や『―――』の表現は無限に存在すると思います。また、『・・・』や『―――』を表現することによって初めて俳優さんの個性やパーソナリティの一部が発揮されるとも思います。

台本や脚本を読むときに是非、この『・・・』と『―――』ではどのような空間になっているのか、また、他の台詞や仕草にどのような影響を及ぼしているのかといったことを考えてみると面白いと思いますし、役作りをする上で忘れてはいけない箇所だと考えています。

この『・・・』と『―――』でもその登場人物は何をどのように感じ、どんな息遣いをしてどんな顔、表情をしているのか―――生きている以上何かをしているはずで―――台詞本体のみにとらわれず、こうした仕草や表情を想像し創造していくこと、メールの喩えのように印象深い役作りをしていくことが大事だと私は考えています。
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2015年06月12日

目的と方法

お芝居に限らずどんな仕事でもそうだと思うのですが、『目的さえはっきりしていれば、方法はいくらでもある』と思うのです。

例えば、100万円、手に入れようとしたら…どんな方法があるでしょうか。
 ・一生懸命仕事・アルバイトをする。
 ・ネット副業やアフィリエイトで稼いでみる。
 ・借りる。
 ・盗む。
 ・援助してくれる人を探す。
 ・ダブルワークなどで馬車馬のように働く。
       ・
       ・
       ・
       ・
などなど色々と考えられるかと思います。
色々な方法を模索してから、制限があるもの(例えば、法に触れるなど)を打ち消していくことが必要かと思います。最初に頭の中だけで、方法を制限してしまうと、方法に固執してしまって、目的を見失ってしまうことになりかねません。

また、方法は方法であって、目的には成り得ません。
例えば、
 ●目的→家計簿を簡単につけたい
 ●方法→表計算ソフトの使い方を勉強し、家計簿をつける
とします。

2015-06-12.jpgこのとき、表計算ソフト・・・例えば、エクセルを買って、勉強し始めたとします。色々便利な機能がありすぎて・・・また、最初のうちは面倒なこと、覚えることが多すぎて・・・となっていってしまったり、「エクセルでないと家計簿が付けられない。覚えないと家計簿ができない。」というなんだかわけの分からない考えに陥りがちです。
目的を思い出してみると、
『家計簿を簡単につけたい』
ということですので、違う表計算ソフトに変更しても良いですし、それこそ、”家計簿ソフト”なるものを買っても良いでしょう。
もっと言うと、文具店などで販売している『家計簿帳』などでつける手段もあります。
また、人の家計簿を参考に、自分でオリジナルのノートを作成してもよいでしょう。
究極的には、家計簿をつけている人に自分の家計簿をつけてもらうというのもではないでしょうか。

これはお芝居にも言えることだと思います。
役作りや練習、稽古の目的を常に明確にし、方法や手段を柔軟にかつ、道筋を多く考え、常に変更が利くように
余裕を持って、取り組むと良いと私は考えています。

※長谷川奈美の記事は別仕事の為、お休みです☆来週の登場にご期待ください♪
ラベル:演劇 目的 方法
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2015年06月11日

絶望の縁に立ったとしても…

さてさて、今日の記事は…
「失敗」
について書いてみたいと思います。

2015-06-11.jpg結論から言えば失敗しなければお芝居は上手くなりませんし、
失敗したからこそ生まれるものがあります。

講座やワークショップで若い方と一緒に研究を進めていると、
”私(先生)に褒められる事を目標”にしていたり、
”私(先生)に叱られないように無難にまとめたり”するような傾向が多く見受けれます。

・・・。
これでは、何も変わりませんし、お芝居はうまくならないと思います。

失敗するからこそ得られる情報もあるのです。
たとえその失敗が絶望の縁に突き落とされるくらいの失敗であろうとも、お芝居に真摯に向かっていたのならば必ずその出来事は種となり、花が咲き、実となることと思います。

お稽古やレッスンでは大いに失敗したほうが良いのです。
恥ずかしいと思うことなど何もないのです。
でなければ、もともと無い答えを永遠に探し求め、迷路にはまってしまう可能性もあります。
レッスンやお稽古で失敗し、何かを学ぶからこそ、そこから気付きが生まれ、色々と自分の身になっていくのだと思います。失敗を恐れたらそこで上達も進歩も止まってしまいます。

またこれは別の話で書く時がくると思いますが、叱られているうちが花、ということも昔からよく言われます。
是非、お芝居に真摯に向き合い、色々叱られながらお芝居の研鑽を積むのが上達の道だと私は考えています。

※松井ともみの記事は別仕事の為、本日おやすみです。来週の登場にご期待ください♪
posted by 新和座制作部 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

舞台の上でその役として生きるということ

2015-06-07.jpgよくお稽古場で言う事があります。

『役を殺すなよ』

文字で見ると物騒です。
しかし、舞台の上で(物語とは関係のない)生気がなく、死んでいる人間を見るほど辛く切ないものはありません。
役として認識できればまだしも…役そのものがそこにいないと感じてしまう時、本当に切なくなります。

お芝居はもちろん、台詞の暗唱ではありませんし、お客様は大抵の場合、物語の筋も知らなければ、台本を持って鑑賞していません。
言わば何も情報がないまま、舞台上の動くもの、舞台上から聞こえるものを見て聞いていただいているわけです。舞台であれば、その舞台上の空気感・温度・湿度・匂いといったものまで感じてもらえます。何れも欠け落ちることが出来ない要素だと考えています。

舞台を作る時に、台本の台詞だけ注視してしまうと、お客様の視界に映るものが狭まってしまう懸念があります。また、台詞と台詞の間、ト書きとト書きの間、ト書きと台詞の間にどのように役が感じ、役がどのように動いているか明確にイメージする必要があります。

また、自分(役者)が動きたいから動くというのは、作品にとってはプラスに働く場合とマイナスに働く場合があります。
しかし、この部分で一番肝要なのは、役(登場人物)として、矛盾がないかという事です。

例えば、時代劇だとして、時間を気にする時に腕時計を見る仕草をしたら…
 面白い!
となる場合と
 場違い!!
となる場合と考えられます。
ですので、常に役がどう生き、感じ、どう動くかということが舞台上では肝心となってくると思います。

役者としての自分が動きたい時に動くのではなく、役が動くべき時に動く。
しゃべることも合わせて、役の衝動で動く。
これが舞台の上でその役として生きるということの第一歩だと考えています。

舞台上で役をどう生かすか、どう生きるかという事を観点に役作りしていくことで、更に作品の面白さが増すのではないでしょうか。
posted by 新和座制作部 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

雑念を振り払う

今日のお話は『雑念を振り払う』ということについて書きたいと思います。

レッスンを始めたばかりの頃はどうしても気になってしまうものがあると思います。
「あ、これをやったら恥ずかしいな」
とか
「こうしたら、皆に笑われるかな…」
とか
「こんな考えだったらおかしいだろうか…」
などなど…

こういう所謂雑念をもってレッスンや練習、お稽古などを行っているとちっとも上達しません。何故ならば、そういうものがあると身体が悪いほうに緊張し、自分が想像している以上に身体が(おしゃべりも含めて)動かなくなるものです。

また、雑念というのは、知らず知らずのうちに自分の心の中に入り込んできてしまうもので、完全に消すのは難しいです。

しかし、ちょっと考えてみてください。
皆さんの好きなところに行ったとします。そこで大いに遊ぶ、と仮定しましょう。
例えば…ディズニーシーに行って遊ぶ時のことを考えます。
翌日の授業やレッスンのことだったり、宿題の事だったり、仕事の事だったり…
他に気になることがあると心から楽しめないのではないでしょうか。
2015-06-01.jpgこういった気になることをとりあえずは忘れて、これでもか!というくらいに思いっきり遊んでしまう!そうすると、目の前の楽しいことだけに集中できますし、帰る時ももう、ぐったりというくらいになると思います。
また同時に遊びに行く人についてもイメージしてみましょう。
気の許せる人同士であれば、がはは!と笑いながら、まったくもう!というくらいに楽しめると思います。
しかしながら、初デートだったりすると…相手の事が気にかかりなかなか「遊び」に夢中になれません。(この場合、他の事に夢中にはなっていることが往々にしてあるようですが・・・)

以上のことから、お芝居に話を戻すと、課題や作品以外の事を考えていると所謂集中力を失い、進歩や上達が遅くなってしまいます。レッスンや練習、お稽古の場はチャレンジする場所です。失敗をしても良いのです。(私の考えではどれが失敗だかわかりませんが…それはまた別の機会に)思い切り、作品に向かい合い、上記で触れたように気になることをすべてかなぐり捨てて、目の前の役に、課題に、作品に集中する。すると…やり終わった後に疲れ果てぐったりすることでしょう。

こうすることで自分のお芝居の幅が広がり、進歩の幅が大きくなっていく気がします。
また、別の機会に述べますが、ある種の人の目を気にする事は大事なのですが…お芝居のレッスン、練習、お稽古に関しては雑念を振り払い、思い切り目の前の課題にチャレンジすることが肝要だと私は考えています。
posted by 新和座制作部 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月29日

芝居での距離感と拳銃

2015-05-29.jpgお芝居をしていて、難しいものの一つに『距離感』というものがあると思います。

距離感を出すお芝居というのは・・・
近い距離でも遠い距離でも・・・最初は難しいと思います。

例えば
「1km先の遠くの山に向かって叫ぶ」
というト書きがあったとすれば、それを演じなくてはいけません。
しかし、実際、1km先の山、というのは劇場に存在させることは難しいと思います。

お芝居は役者のイメージが根本であろうと思います。
このイメージを如何に1km先の山へ詳細に作るかということが重要になってくるかと思います。

そこで、大事になってくるのが、どれだけ遠くにイメージできるかということなのですが、
これがなかなか上手くいかない時があります。

結論から言えば、イメージ上の遠くの山に視線を向けることによって、距離というものを意識できます。

何故ならば、人間が距離を測る場合、その多くの情報は目から入ってきます。
その目、視線をイメージにそって向けることによって、より意識は距離を考えるようになります。

この距離感というもの・・・
’照準’で考えてみました。
おもちゃの拳銃でも、お祭りの際の射的でも、アーチェリーでも弓矢でも良いのですが・・・
遠くの標的を狙おうと思ったら、よく照準をつけて、当てようとします。
近くの標的を撃とうと思ったら、距離よりも方向に意識をむけようとすると思います。

距離を意識するというのはその目標を見る、ということに近いのです。
これが簡単なようで難しいのですが・・・これを会得するのとそうでないのとでは多く違ってくると考えています。

※長谷川奈美は別仕事のためお休みです。来週登場予定です。お楽しみに♪
posted by 新和座制作部 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

自分の殻に閉じこもらずに、自分で決めた限界にしばられずに〜

今日は「リミッターを外す」ということについて書いてみたいと思います。
特にお稽古などではそうだと思うのですが、自分自身で制限をつけてはいけないと思います。

人はしらずしらずのうちに自分で限界を決めて、
しらずしらずのうちに自分自身を制限してしまい、
しらずしらずのうちにその制限を超えることをしないようになってしまいます。


結論から言えば
常に120%、200%、2000%と元気と気持ちの高揚』をもって臨むことが良いと考えています。
すなわち、思い切りやることが肝要だと思っています。

2015-05-19a.jpg

自分自身で「こんな感じでいいかな〜」という思いでやっていても周りで見ている人には物足りない時がままあります。
ちょっとやり過ぎかな?と思うくらい・・・思い切り気持ちを出し切らないと見ている人に気持ちの移り変わり、役の云いたい事は伝わらないと思います。

話はちょっと逸れますが、、、
アルバイトなどを無我夢中で一生懸命するとどっと、心も身体も疲れます。
お芝居も仕事として捉えるのであれば、お芝居(たとえお稽古でも練習でも)が終わった後は、質は違うかもしれませんが、心身ともにパワーを使い果たし疲れなければ嘘だと思いますし、そうでなければお金などとうてい頂けまません。

話はもとに戻り、この制限をもうけず、思い切りやることをよく私はこのことを「リミッターをはずす」と云いますが、気持ちも相手役への思いも、役に関する全て、自分自身の制限を外して、思い切りやってみると、声も動きも表情も次第に大きく、より多くの人に伝わるお芝居になると実感しております。

最初から制限を自分自身でもうけてしまうとなかなか思い切りやることは難しくなってきてしまいます。
ですので、その制限をとっぱらって、”リミッターを外して”思い切り、やることで、その思い切り度といいましょうか、お芝居の幅が2倍にも8倍にも・・・恥ずかしがらず、リミッターを外してやり続けると、しらずしらずのうちに幅が何十倍にも広がっているはずです!

制限の壁、、、それは自分自身でもうけた、「このくらいでいいかな?」という気持ちや、恥ずかしい・・・といったたぐいの気持ちが邪魔する事が多いようです。お稽古や練習ではじめからできる必要などこれっぽっちもありません。レッスンの場やお稽古場、練習の場は色々試す場ですので、せっかく試すのですから、余計な殻、制限を設けていたら・・・成果も上がらなくなってしまいます。

是非、お稽古や練習の際は制限を設けず、思い切り、リミッターを外してチャレンジしてみてください!
そして、仕事してやりきった、’心地良い疲労感’を練習やお稽古の度に感じる事が肝要だと思います。
posted by 新和座制作部 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

ベストミックス

IMG_2675.JPG皆さんこんばんは☆演出部武藤です。
『パレードを待ちながら』の稽古もどんどん熱を帯びてまいりました☆☆
何回も何回も稽古を重ねているわけですが…人間ってどこまでいっても進化するんだなぁ〜〜と手前味噌ながら感じてしまいました☆

さてさて、そういったお芝居の空間を作っている時に…
「想像して創造する」という根本の部分と「経験を役立てる」というある種対極にある部分についてどのように役に取り込んだら良いかと悩む事もあると思います。
例えば、自分自身の経験したことを主として、役を作っていく方法。
例えば、その役のことを想像し、詳細まで思い描き、役をつくっていく方法。
何れも良い方法だと考えています。
私は、役作りは「ベストミックス」で行うべきだ、と考えています。
ベストミックスを引きますと…
『複数の手段を組み合わせて最も効率的な解決策を得ること。電力・エネルギー分野では、電力を安定的に供給するために、火力・水力・原子力などの発電方式を最適なバランスで組み合わせることをいう。』
エネルギーの分野でよく使われる言葉のようですが…
お芝居でも同様の事が言えると思うのです。
方法はたくさんあります。
舞台の上でその役として生きる。
どの方法も否定はできません。
ただ、いずれか一方に偏った時に、その方法で役作りができなかった時は…大問題です。
ですので、常に混ぜる。ベストミックスの役作りが良い、と私は考えています。

個人的な役作りもそうですが…お芝居全体としてもそうです。
おんなじようなおけしょう、おんなじようなしゃべりかた、おんなじようなかみがた
の人間ばかり、同じ動き、同じ表情では面白くないと思います。
お芝居全体としてもベストミックスが必要だと私は考えています。

そんなベストミックスのお芝居
『パレードを待ちながら』



絶賛チケット発売中です☆
IMG_2596.jpg第二次世界大戦末期のカナダ。男達が戦争に狂喜乱舞する中、銃後を守る女たち。キャサリン、マーガレット、イーヴ、マルタ、ジャネットの5人は如何に戦争と向き合っているのか。戦争に愛する人を送り出す女たち。愛する人を待ち続ける女たち。戦争というあってはならない現実に、戦場ではなく、”銃後”を守る女たちの物語です。

詳しくは劇団新和座公式サイトを御覧ください☆
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2015年02月16日

リミッターを外す。

特にお稽古などではそうだと思うのですが、自分自身で制限をつけてはいけないと考えています。

20150216.jpg常に120%、200%、2000%と元気と気持ちの高揚とをもって望む、お稽古中でも練習中でも常にテンションを張り続けすべてにおいて全力投球することは非常に大事だと考えています。

自分自身で「こんな感じでいいかな〜」という思いでやっていても周りで見ている人には物足りない時がままあります。ちょっとやり過ぎかな?と思うくらい・・・思い切り気持ちを出し切らないと見ている人に気持ちの移り変わり、役の云いたい事は伝わりません。

よく私はこのことを「リミッターをはずす」と云いますが、気持ちも相手役への思いも、役に関する全て、自分自身の制限を外して、思い切りやってみると、声も動きも表情も次第に大きく、より多くの人に伝わるお芝居になってきます。

また、本番の舞台やスタジオでは練習やお稽古と違っていろいろ違う要素が含まれてきてしまいます。
それに伴い、緊張を含めいつもと違う感覚に陥る事もあるかと思います。
「リミッター」をはずし、お稽古中、練習中から常にテンションを張り続け、全力でやるからこそ、本番でもさらに良いお芝居ができ、自分の限界を広げる事ができると考えています。

人間は不思議なものでなんでも抑えることは簡単にできるのですが、すべてを発揮しきるのはとても時間がかかるようです。

お芝居をはじめたばかりの場合、常にすべてにおいて全力投球、100%以上の力で望むことで本番でやっと・・・8割くらいの力が出せればいいくらいです。
常に制限を決めて抑えてやってしまうと、自分自身の限界がどんどん狭くなってしまいます。稽古中・練習中を含め、何事にも全力で取り組む事で自分の能力が幅広くなっていきます。

しかしながら…その中でも冷静な判断力というものは常に持ち合わせておきたい、と考えるのですが…それはまた別の時に☆

演出部武藤でした♪
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2014年11月17日

無くて七癖

今回は『癖』という事をテーマに書いていきます☆
無くて七癖なんて申します。
これはだれでも癖といわれるものは持っており、ないように見える人でも七つぐらいは持っている、というような意味なのですが…
そう、誰でも癖を持っているわけですね。

しゃべるときのしゃべりぐせ、
歩くときの歩くくせ、
歌うときの歌のくせ…
などなど、人には癖がたくさんあるわけです。

20141117a.jpg誰しも癖があるわけですがが、こと、お芝居に読み癖や読むときの癖、台詞をしゃべる際の癖、これに着目してみましょう。役から自然にでる仕草、癖であればそんなに目立つものではありませんが、役者さん自身の癖が突出してしまったら、それはもう、役とは言えません。

レッスンやお稽古で指摘されることがあったりします。
アクセントも一つの癖かもしれません。

これは、個別には矯正しにくいもので、学校や養成所、ワークショップなど、先生や師匠に指摘され、矯正していくのが早道です。ですが、これには必要なものがあります。
違いがわかる耳と目、です。

例えばアクセントについては、共通語(標準語)のアクセントと自分の発声のアクセントのどこが異なるかという違いがわからなければ、強制することはなかなかできません。また、偶然にあっている発音でしゃべったからといっても矯正された、とは言えません。

これは耳で違いを理解し、しゃべりにつなげるという訓練が必要です。最近は録音技術も発達して、すぐに自分の発声を録音することができます。その結果を聞き、共通語との違いを聞き較べ発声に活かすのも一つの訓練方法だと思います。

次に、お芝居をしているときの癖です。
例えば、足でリズムを取ってみたり、手がフラフラしていたり、身体や首が揺れていたり・・・・読点や句点ごとに抑揚がつき、非常に単調であったり、リズムがついた読み方であったりと癖は様々です。これには違いがわかる目が必要です。他人の動作仕草を観察し、自分の動きとどこが違うか、どういった筋肉、筋をつかっているのか、または使っていないか観察し、取り入れていくことが必要です。

しかし、ここで気をつけなければいけないことがあります。
いくら違いがわかる目、耳をもったからといって、共通語(標準語)や他人の動きが「正解」であるとは限らないわけです。役によっては方言を使うこともありますし、妙な癖をもつ役もあるでしょう。
大事なのは、これらの所謂癖を自在にあやつれることが重要だと考えます。
冒頭でも述べたように、役者さんの癖としてではなく、役の癖として活かすために、これらを出せたりひっこめたりするようにコントロールできなければいけません。

常に自分の癖を把握し、役によってコントロールできるようにすることが肝要なのだと考えています。

※ならりえの記事は別仕事の為お休みです。次週登場予定です、ご期待ください☆
ラベル: 演技
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2014年10月27日

一番訴えたい場所

演出家の仕事の一つに『訴えたい事を明確にする』といことが挙げられると思います。

台本を読んでその全てを一言一句、全てをお客様にご覧いただきたい、そういう気持ちは常に持っていますが、それは不可能だと思います。先だっても書きましたが、作品を通じて自分の訴えたいことを明確にすることで、おのずと一番訴えたい場所が現れてくると思います。

その場所を重点に、または基点として、前後の物語の音楽、照明のイメージを出していくのも演出者の仕事なのではないか、そう考えています。

2014-10-27.jpg『作品を通じて自分の訴えたいこと』を明確にすることによって、その舞台、物語に存在する全てには必ずある理由、存在理由が見えてくると感じます。
その理由に矛盾が生じれば、検証し、その事象(物言いや段取り、照明、音楽について)別の方式を検討することになると思いますし、理由が不明確であればその事象自体の存在を疑うことになろうかと思います。

何度も稽古を重ねて、より深くより広く表現をこねていくわけですが、途中で迷いも生じます。そんな時は、この『訴えたい事』というフィルターを通じて場面場面を見ていく事にしています。


私は台本というよりどころを一部も変えることなく、上記のような事象の検証を繰り返し、そのすべてに、すべての役について、理由のある動き、理由のある言動を求めて行きたい、そう考えています。
この事を伝える事も演出家の仕事の一つである、そう考えています。
ラベル:演劇 主張
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2014年10月21日

耳は大切

さて、今回は『耳は大切』という事について書いてみたいと思います。
日曜日の記事でも少し触れていますが…耳は役者さんにとってとっても大事な器官だと考えています。

何故からというと…「すべての音は耳から入ってくる」からなのです。
素晴らしい役者さんになると、とても耳が良い事に驚きます。

役者さんになろうと思ったら、発声練習や滑舌、感情のコントロール、仕草、型と言ったごくごく基本的な練習はもちろんの事、”耳を鍛える”と言う事をしなければいけないと考えています。20141021.jpgこれは単に、耳がよく聞こえる、ということではなく、”違いのわかる耳”を持つ、という事なのです。
例えば、声優さんやアナウンサー、役者さんの修行の中で、ほぼ最初にやるのが、発声や(滑舌を含めた)アクセントのトレーニングですが、これは無論、所謂"共通語"をマスターするためのものなのです。しかし、「言えて」おしまいではありません。何故ならば、お芝居の役はすべてが標準語、共通語をしゃべるとは限らないのです。このアクセントの練習で耳をより鍛える事で、”アクセントの違い”がわかるようになり、耳で聞き、きちんと認識する事で初めておしゃべりできるようになるわけです。

赤ちゃんもそうだと思います。
耳が発達することで、だんだんとおしゃべりが上手になる。

また、こう言う事もあると思います。自分の好きな役者さんの物の言い方があったとします。それを練習の中で真似をする時もまず、聞く訳です。そして、次に真似をしてみる。と同時に自分の発した音も耳で聞く訳です。

更に、舞台などで効果音や、BGM、相手方の台詞、装置や道具などの音を良く聞く事、それによって反応する事で「目」だけでわからない反応をする事ができます。

別の話になってしまいますが、「台本を覚える」というのも、一日一回、声をだして、(ト書きも総て)読むだけでも、覚える速度が違ってきます。目の情報だけではなく、自分の声を聞き、耳から入った情報というのも加味されるからです。

話を元に戻して、役者さんは『違いのわかる耳』を鍛えるべく、「耳を大切」にしたほうが良いと考えます。
音の高低、抑揚、大小、強弱、、、総ての音は耳から入ってくる訳ですから、自分で練習しているときも、稽古で他の人のお芝居を見て聞いている時も、”前回との違い”や”自分との違い”を漠然とはではなく、明確に把握する事によって、自分のお芝居に磨きがかかると思います。
耳をより鍛える事、違いを耳で意識することで今までの基礎練習の進歩も舞台作品もちがってくる、私はそう考えています。

動画をアップしました♪
『劇団新和座の稽古場から』

是非、御覧ください☆
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2014年10月16日

通常の3倍

もーくもくもく木曜日♪演出部武藤です☆

さて、今回の記事は『インプットとアウトプット』という事について考えたいと思います。
お芝居をしていると、人よりうまくなりたい、人よりも目立ちたい、人よりも上手に喋りたい…などなど思うことがあります。
これは舞台を創る上で持っていなければいけない気持ちではあります。
しかしながら、ここに執心してしまうとなかなか前に進めない事もあります。
また、舞台に関わる全ての人間は”謙虚さ”や”素直さ”というものも必要になってきます。
これはまた別の機会に書こうと思います。
今回は…「通常の3倍」というキーワードと共に「インプットとアウトプット」という事を考えたいと思います。

「通常の3倍」と言えば機動戦士ガンダムの有名なセリフ「このスピードで迫れるザクなんてありはしません。1機のザクは、通常の3倍のスピードで接近します!」というものがあります。
これはシャー・アズナブルが操縦するシャーザクの速さ、能力の凄さを表すセリフです。
冒頭申し上げた、人よりもうまくなりたい、と思った時に、こうした「通常の3倍」の能力があると人よりも優れた芝居ができるかもしれません。
しかしながら、なかなか「通常の3倍」なんて能力は出せません。人間には残念ながら限界があったりします。しかし、この限界を自分で決めてしまってはそれ以上の能力や力を出すことはできません。

では「通常の3倍」までいかなくても、今よりも能力を身につけようと思ったらどうしたら良いか。20141016.jpgそれは練習、稽古以外にありません。人よりも多く練習し、稽古では他人の稽古をよく見、聞き、そしてやってみる。こうした事を繰り返す事で力はついていくものです。しかし、闇雲にやっても、やはり壁にぶつかってしまう時がきます。

これは何故か。人間は…個人差はあれ、元々、得手不得手を含めて能力を持っています。それを出すことは比較的簡単です。しかし、自分が持っている能力だけでやろうとするといつしか壁にぶち当たってしまうわけです。では、この壁を乗り越えたり、壊す為にはどうしたら良いか。それは、”インプット”を多くすることです。「出す」為には「入れる」事が必要なのです。
”インプット”には色々あります。他人の稽古・演技を見て盗み、真似るのも一つ。よく聞き、それを繰り返すのも一つ。自分が読んだことのない物語を読むのも一つ。映画や舞台を見るもの一つ。絵画を見ることも一つ。音楽を聞くのも一つ。人と話したり、触れたりするのも一つ…入力するものは色々あります。法に触れない限りの色々な経験をすること、全てが”インプット”として生きてきます。
特に自分が未だ経験したことのないことをする事は”アウトプット”に大きな影響を及ぼす”インプット”でもあります。

「通常の3倍」の能力になるかどうかはわかりませんが…今の自分の能力をより出したい、ということであれば、色々な経験を積む”インプット”、入力が肝要だと私は考えております。

明日も素敵な1日になりますように♪
*武藤よしひろ*


※松井ともみの記事は別仕事の為お休みです☆
 来週登場予定です。是非、お楽しみに♪
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2014年10月15日

間合い

秋らしくなってきて、朝夕の冷え込みます。
11月までお布団を入れるのを我慢して毛布ですごそうかと思っておりましたが、、、
そろそろお布団を入れようかな、と思っております。

さて、本日は、”距離”、”距離感”ということについて考えてみました。

よく武道では、『間合い』という言葉があると思います。
これを辞書で引くと「自分と相手の距離」と出ています。
この間合い、実は舞台上の役と役、役と装置、役と空間・・・の中にも存在するものだと考えています。

この間合い、武道でもそうなのだと思うのですが、適正な距離よりも近ければ近いなりの、遠ければとおいなりの動きが出てくると思うのです。また、遠すぎても近すぎても不味いことになることもあるかと思います。

武道、とこに剣道でいうところの『一足一刀の間合い』というものがあります。
これは、所謂適正な距離だと理解しています。剣道の基本的な距離の取り方で、一歩踏み込めば相手に打突を加える事の出来る距離であると同時に一歩引きさがれば相手の攻撃をかわすことが可能な距離であります。
さらにこれよりも遠い間合い、すなわち、相手が打ち込んでも届かないかわりに、自分の攻撃も届かない距離感、同じように、自分の攻撃が簡単に届いてしまい、且つ、相手の攻撃も用意に届いてしまう、近い間合いも存在します。

お芝居にはこのような見た目、攻撃ということは存在しませんが、(無論、台本の中でそのような場面は別ですが・・・)これと似たような距離感をコントロールすることを求められます。
往々にして舞台では様々な距離が存在します。アニメや洋画のアテレコの世界でも同じではないでしょうか。
私はこれを物理的距離と倫理的距離とにわけて解釈をしています。

20141015.png例えば・・・舞台では立ち位置は舞台の端と端に男女が立っているとします。二人は恋人どうし。
脚本上には「二人寄り添って愛をささやく」としてあるとします。この場合、そりゃあ、寄り添えば何てこと無いんですが、演出や作品として何を訴えたいかによって、こういうシチュエーションになるときが多々あるかと思います。このとき、舞台上の二人の距離が物理的距離、台本上の「寄り添う」という文言から導かれる気持ちの距離感を倫理的距離と解釈しています。

この二つを混ぜ合わせ、脚本上にある「寄り添って愛をささやく」というものを表現しつつ、舞台作品として物理的距離を有意義に生かすことができると表現の幅が飛躍的に広がるのではないかと思っています。

これと似た様なことにアテレコ/アフレコの現場では画面上に恋人の二人が映っていても実際に声を入れている声優さんは部屋の端と端のマイクだったりするときがあります。

この倫理的、物理的距離をイメージでき、且つクリエイトできることが役作りにとって必要なのではないか、そう考えています。

こと、舞台の世界では劇場の大きさや、他の役、装置、道具などとの間合い、距離感というものがダイレクトにお客様に伝わって行きます。ですので、この距離、距離感というものを常に意識していないと一人とんでもない動きや台詞になってしまう事がありえます。特に自分の世界観、自分の距離感のみでお芝居を行うと他者との兼ね合いや演出の求める距離感がぐちゃぐちゃになって、台詞をおっているだけの祖末な演技になってきてしまうでしょう。

前述しましたが、物理的な距離、論理的な距離を十二分に把握し、自分の役と他の人の役、装置、道具との間に、その時々にあわせた適正な間合いを持ち、発する事が大事である、私は考えています。

※石井かほるの記事は別仕事の為、休載します。
来週登場予定です。是非、お楽しみに☆
ラベル:演劇 俳優
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2014年10月13日

Easyなのか?!

台風がまたも日本列島を通過しようとしております。
被害が少ないことを祈っております…皆様、是非ご安全に。

さて、今回は『基礎練習』というについて考えてみました。
これはお芝居に限らず、どんな仕事でも、スポーツでも、あると思います。

実はと言うと、私、この基礎練習が大っきらいでした。
役者修業時代。
その時の気持ちを今、考えてみると、酷い物です。
「なんとかごまかせないかな」
「走るの嫌だな」
「滑舌も完全には言えないけれども、だいたい言えているからいいか」
・・・などなど酷い物です。
自分に甘いと言うか・・・

さて、皆さん、”基礎練習”と聞くとどのようなイメージを持ちますか?
「簡単な練習?」
「基礎的な練習?」
(日本語の)イメージとは怖い物で、基礎=簡単ととらわれがちです。
もちろん、これは誰でも練習すれば、ある程度はできる内容が多い訳ですからあながち間違っているわけではありません。

が!
これを簡単な練習と思って疎かにすると、大変なことになります。

基礎練習とはeasyな練習ではなく、basicな練習なわけです。
つまり、文字通り、基礎を成す練習なわけです。
これを怠ると台本練習してみたところで、何にもなりません。
特に芸事は1日サボると3日分後退すると言われています。
一見して基礎的なものこそ、その仕事(お芝居も含め)、その正体であり、綜合そのもののように感じています。


2014-10-13.pngここで注意をしなければ行けないのが、基礎練習をする目的をきちんと持つということです。
例えばランニング。アスリートになるわけではないのですから、早さを求めてもあまり意味を成しません。2〜3時間という公演時間に耐えるう体力がつける目的があれば、適度な練習量が導き出せます。また、同時に、精神を鍛える目的ならば、ぶっ倒れるまで走るもの目的の一つです。先ほど「早さ」も出ましたが、役が「如何に速く走れるか」を追求している役であれば、早く走ることも大事だと思います。

つまり、基礎練習は目的を持って、基礎的な(ベーシックな)機能を鍛える、その鍛える目的をきちんと持てば、上達も早くなると思いますし、なによりも楽しくなるものだと思います。目的や効果を知らずにただ、やみくもにやっても辛いだけです。

私も今は、楽しみながら、基礎練習を行っています。
しかし、若い時の私に教えてあげたいものです。。。。ベーシックなんだよ、と。
ラベル:基礎練習 俳優
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2014年10月06日

おもいきり、制限なく

関東地方では朝から昼くらいまで台風の影響がありました。
被害が最小限にすむように願っております。

さて、今回は「お芝居をするには自分の全てを注ぐ」という事について考えてみました。
『お芝居をするには自分が持てるものすべてを出し、すべてをそそいでやらないとお客様の心は動かない』と思うのです。また、プロとしてお仕事して行く上で、ライバルがこのことをしていたら、まずもって役は持って行かれてしまうでしょう。

2014-10-05 20.12.43.jpg結論から言いますと、ある程度経験を積むと「これくらいでいいかな」と思わないまでも、しらずしらずの内に自分の全てを出さないことが出てきてしまいます。また、初心者の方に多いのが、恥ずかしさ、羞恥心が先にたってしまって、なかなか思い切り出来ないと言うものがあります。

羞恥心を出さないようにしたり、(捨てるというのは違うと考えていて、また別の機会にお話しようと思っています。)自分の持てるすべてを出し切るというのには”テンションを張る”と言う事が関係していると思います。人は泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったり無意識にテンションが張れている状態であるわけです。もっと平たく言えば、ある種の興奮状態であり、(良い意味での)緊張状態なわけです。このある種の興奮、緊張を常に張っている事によって、制限なく、お芝居ができるのではないかと考えています。

また、最初にも書きました通り、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』わけですから、自分の良い面ばかりでなく悪い面、長所ばかりでなく短所もすべてさらけ出さなくてはいけません。しかし、人間ですから、欠点や短所をさらけ出す事は嫌ですよね。それに伴って笑われたり、馬鹿にされる事があるかもしれません。しかし、役者としてはすべてをそそがないと、人の心は動かせない訳です。なぜならば、通常皆さんが心を動かされたりすることはその原因となった人、物事について、たとえその人の欠点だったことであろうと、その人が真剣であればあるほど心に残る訳です。お笑いでもしかり。お芝居でもしかり。その見せ方や目的が違うだけなのです。

ライバル達が思い切り、自分の良いところも悪いところも包み隠さず、自分のすべてを注いでお芝居をしたら、、、例えばオーディションなどでは勝ち目がなくなってきてしまうかもしれません。また、すべてを注がずにお芝居をしていると、目の肥えたお客様やお仕事先のディレクターさんなどにすぐに看破されてしまうでしょう。

また、『自分の生きている時間すべてを芝居に注ぐ』ということもあると思います。役者修行をしている方の多くは学生さんだったり、アルバイトをしておられる方がほとんどだと思います。生活のためにアルバイトをしたり、学生さんですから勉強するのは当たり前です。しかし、役者を目指した以上、他人が−−−役者を目指していないお友達などが−−−遊んでいたり、休日をとったりする時はすべてお芝居に費やすべきなのです。この世界は努力が必ずしも報われるべき世界ではありません。しかしながら、自分の人生の時間のそのほとんどをお芝居に関する時間に充てないと・・・これもライバルが既に充てていたら勝ち目はありません。人間ですから眠かったり、やる気が起きなかったり、遊びたかったりします。しかし、切り替えをきちんとして、お芝居に時間を充てなければ『自分の全てを注ぐ』ということにはほど遠いを思うのです。

『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』−−−常に思い切り、制限なく、また、自分の使える時間を有効にお芝居に注ぐ。そうしていくことで好きなお芝居がより好きになり、恥ずかしい心を出さなくなり、自信がついてくるようになる第一歩だと考えています。
ラベル:役者 制限 演劇
posted by 新和座制作部 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家 武藤賀洋のお芝居について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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