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2016年02月27日

攻めることの意味

そもそも正解がないものをよりよくしようとして、書くべきところまで適切に書くのは難しく、書きすぎるのも、書かなさすぎるのもいけなくて、とか考え始めると沼に沈む。
目が覚めてテレビをつけたら偶然やっていた早朝の番組で「現代の人の承認欲求は……」なんて見てしまえば自意識過剰な気がして、もう何も言えなくなる。
わかってしまったら何も言えなくなる。


よくよく考えてみれば、これはいらない気がするし、だったらこれもいらない気がするし、あれもそれもいらないかな。あ、あっちも全部いらないか。
で、気づいたら本当に特に何もないことに気付くわけで、それでも生きていれば当然自分でもわかりようがない欲とかあるのだろうけれど(基本欲求は別として)少なくてもそれまで持っていた多くのたぶんいらなかったものをごっそり処分するとなんだか身軽。わたし定期的に身軽になりたがるくせがある。
身軽になりたがるっていうのも、そもそもじゃあ、重たかったと思っていたのかということになり、それはそれで、重たい人間なんかではなくたぶんほとんど空っぽだから、軽いものが軽くなったという意味の身軽であって、ただでさえない中身をそれ以上軽くしてどうするんだという気がしなくもない。


と、考え始めるとここでもう書くことがなくなり、来週以降も書くことがなくなるため、とりあえずいろんなことを知らなかったことにしておくことにします。
答えを求めすぎるといろいろ面倒です。


わたしは芝居をしていて、それはその間誰かになることだと思っているから(正確には表現しにくいけれどたぶん一番近い言い方だと)全体的なことを考えず一点だけを考えるとそんなに普段の自分をさらけ出す必要はないのかもしれないと思っていて(わたし個人であって他の役者さんにはそれぞれに正解があると思います)だけど、ひとことでも何かを言えばどうしてもそこからその人自身というのは滲んで広がっていってしまうと思うので、たとえば毎週ブログを書くたびに、ツイッターを書くたびに、自分の一部が切り離されていくというか、滲み出て流れていってしまっている気がして、落ち着かなくなるのです。
芝居は別として、わたしという一人の人間は、たぶん一般的にはきっと「目立つ」ことをしていると思われていることをしながら、ひっそりとしているのが好きです。
ですが、わたし個人に興味を持ってもらう延長線上で芝居に興味を持ってもらえるかもしれないとかそういうことももちろんあるので、頑張って書く。


演じることは魂を削ることだと言った先生、それ以外でも削り取られていくとは当時のわたしは想定外です。演じるために必要な経験や知識を増やしていく手間や、感情を得るために傷付くことも限界まで攻めることも、時間を使うことも、演じるということを選んだ覚悟がある限りはできるのだと思いますが、それをたとえば演じていないわたしが言葉にするのは苦手です。
じゃあ、書かなきゃいいじゃない? それっぽく書いときゃいいんじゃない? と返されそうですが、そういうものは読んでいてすぐわかってしまうので意味がないのです。
もちろんだからと言って何もかもを書けるわけではきっとないですが、限りなく致命傷に近くなる血管の手前まで裂いて見せることでしかないおもしろさがあると思います。
おもしろいのは多分「人」です。


演じるためにいろいろな人を一応はこれでも見ているつもりですが、おもしろいと感じることとつまらないと感じることにはそういう差がある気がします。
もし自分とは正反対の意見を持っている人であっても、それはそれでおもしろくはあるのです。興味ない、つまらない。とはならない。
そういうすべての人がどうかはわかりませんが、でもそれは「限界まで削っている」ことの上に成り立っていることなので、少なからずその影響というか痛手はあるはずで、見ているとたまらない気持ちになります。いや、ありがたいなあと思うのですけれど、いいもの見せてくれて。
演じている人間にとって別の人間の中身は知りたくてたまらないものです。ですが見ただけでは心の中は覗けないので、そうして自ら心の中をさらけ出してくださる人は本当にありがたい。




イメージとギャップ。


ある雨の日、ある人に「あなたがそんなに傘を汚くたたむなんで意外」みたいなことを言われたことがありました。
わたしはびっくりしました。
確かにわたしは仕事はいい加減な気持ちでやったことは一度もなく、せっかく世界中に大勢いる役者さんの中からわたしを選んでくださったのだから、精一杯やらせていただこう! と思って臨んでいるからです。
ですが、プライベートは結構いい加減です。
くちゃくちゃに物を置くことなんてしょっちゅうだし、疲れてしまえばベッドの上に物を乗せたままどかすこともなく寝てしまいます。
レシートもくちゃっとして適当にバッグに突っ込むし……まあいろいろありますが、外してはいけないと思っている部分以外はどうでもいいんです。


しかし、その時わたしのことをそう言った人は公私ともに(に近い? とわたしが勝手に思ってるだけかもしれないから)わたしのことを結構知っている人でした。
ということは結構親しくてわたしのことをよく知っていると思っていた人がわたしは真面目だとか綺麗好きだとか思っているということか? という衝撃を受け。
別に普段いい加減だと思われることに関しては全然平気なので(というか別になんでもいい)真面目ぶっているつもりもなかったのですが。
事あるごとに、そのように思われていることを知って、これはイメージなのだろうか? と思うようになりました。
まあ仕事でいい加減って思われたら困るので、それでいいのかもしれないのですが、なんだかだましてる感じがして違和感……。


おもしろいな、と思いました。


真面目ぶっているわけでも綺麗好きぶってるわけでもなかったはずなのにそう思われている、自己演出(?は、あんましてないけど)と、実際のイメージの差!
そういえば、どうしてそう思われているのか真面目に聞いたことはなかったので一度聞いてみたいと思います。




……うーん。やっぱり芝居以外でこういうのって苦手です。
このブログのような機会がなかったら黙っていたでしょう。まあよいです。誰かひとりでも楽しんでもらえますように。




では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。
posted by 新和座制作部 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | お稽古場日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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