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2015年12月19日

こだわりと執着

今年は一か月くらい前に選べたはずだったクリスマスカードの束が、そのままの状態で机の上に残されている。
……え? どういうこと? 今年は凄く早めに選べたとか言ってたのに、のに、のに……。
買っただけでは終わらないんですね。書くところまでなんですね。
結局いつもと変わらないスケジュールになる。
来年こそはとは言わないでおきます。今年も今年こそはとかもう思ってなかったはずだったんですけれどね。


すり鉢を買いました。
小さいものです。
緑茶をそのままで飲むよりも、すった方がよりいいとかで。それ専用(専用として売っていたものではなくわたしが勝手に専用にしただけ)です。
探し始めてから恐らく数年越し? でした。
もう何年も前から探していたのですが。いや、すり鉢自体はどこにでも沢山売っているのですけどね、理想のものに出会えなくて。
すり鉢なんて割れない限りずっと使い続けることになるんだろうな、と思うと妥協することができなかったのです。
わたしはこういうことが結構沢山あります。
無駄遣いもそうなのですが、それ以上に必要のないものが増えるのが凄く嫌なので、値段に関わらずなかなかものを増やせないのでありました。
こだわっているつもりはないこだわりに自分でも疲れたりするのですが、人間の本質ってなかなか変えられるものではないのですね。
そしてこだわるということは多分それに比例して思い入れも深くなるわけで、執着も大きくなるわけで。
なので、わたしは自分の持ち物が壊れたりなくなったりすることに過剰反応している気がしているのです。
(もちろん、誰だって大なり小なりそういうことはあるのでしょうけれど)
ものとか執着とかのバランスは難しいなあと毎回思います。考え方の問題でしかないとわかってはいるのですが、それをプラスの方面に進路変更させるのはなかなか理屈でというわけにはいかず。
精神統一とか悟りとかそういうレベルなんじゃないかと思ったり。
だって普通の人間ですもの。欲も執着もありまくりですもの。と、開き直ったわけではないですけれど。
問題は、見えたり触れたりすることのできない心がどれだけそこに縛られているかということなんですよね。きっと。
自分でも自分の心がわかりかねることは多々あるので、それが恐ろしいと思います。
無意識に、無自覚に、小さな執着からどこへ運ばれているのだろうかと。


と、ふいに自分の見えない部分に恐怖させられるわけで、暇なわけではない貴重な一日の貴重な時間をそんな答えの出なさそうな執着話に割いたり。
何をやっているんだろうと思います。
確か、すり鉢を買った話でしたよね?
そういう自分でも持て余す面倒くささなわけですが、たまに訪れる役立つ場面ではその執着のような面倒くささが役に立ったりもするわけで、一概にだめだとも言い切れないのでした。
胸張って短所は長所ですとは言えませんけれどね、たまに、ですがああ今役になってるような? と思う場面があるので、自分でうわあああってなる部分があっても、それはもしかしたらまた別の視点で見るといいことである場合もあるのかもしれません。


では皆さま、素敵な週末をお過ごしください。
posted by 新和座制作部 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 座員のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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