logo.jpg

公式サイトはコチラから



2015年02月21日

変化

ヒヤシンスがあっという間に咲いて、枯れて、枯れたところからまた茎と花が育って、これが終わったらもう終わりかなぁなんて寂しい気持ちになりながら毎日眺めています。
まるで命が目に見えているようでただ切ない気持ちになります。
水栽は、基本的に一度きりで、水栽だからこその良さがあるわけで…と、頭では理解していても、寂しい。
だけどそもそも水栽にした時点で、ヒヤシンスが望んだことじゃないわけで、だから悲しいなんて勝手に思うのも傲慢なわけで…。と、考えれば考えるほど寂しさの波に呑まれていくのですが。
なんだかヒヤシンスに申し訳ないような気持ちにさえなってきて。ああ、もしかして普通に 土で自然っぽく育って、咲いて、枯れて、また球根を次回に残したかったかな、とか。

何かが終わるということや、見える終わりは本当に寂しい。
でもだからこそ、大切に尊く思うのだとも思うし、実際、どんなに寂しくても逆らえないこともあるわけで、いつかはなくなっていくことがほとんどなのだろうけれど、今ヒヤシンスとの日々は、ただ毎日変わりなく眺めて、見守るだけで、最初からそんな関係だったけれど、過ごしているのですが。
なかなか、どうしようもないことや、悲しくてもそうあるべきとわかっていることでも、簡単に納得できないこともいつになってもあるものですね。

花を相手にして思うことですが、人生には似たようなことがとこ ろどころに起こるわけで、ああ、悲しい。
と、春が近いからでしょうか。普通春が近づくとうきうきするんですけどね。私は春が近づくと毎年何かしらで悲しくなっている気がします。
桜も美しいけれどあっという間だし、春には儚いものが多いですね。儚いからこそ美しく見えるのかもしれませんが。


旅に出ると、人生の縮図を見ているような気がしてしまうここ数年。
何か、衝撃を受けることがあるたびに、今日が最後の一日だったらと思うと、これまで散々何も考えずに流してきた日々が重たい一日になるものです。
特別な何かをしたいわけでは決してなくて、ただ、いつもと変わらずに過ごしたいと思うのですが、そこにあるものやそこにある時 間の奇跡に気付くわけでして。
なんだか世界が輝いて見えたものです。いや、今も輝いているのですけれど。

与えられた時間が旅のように短く期間が定まっていれば、沢山詰め込むけれど、必死に吸収しようとするけれど、自分が旅をしていると客観的に気付かなければ、そうも思えなさそうだなぁと思うとまた寂しい。日々の重たさに気付くこともまた違った悲しみというか、これは悲しみではないのかもしれないけれど、そういうこともありますが。
だけど、なんだかいろいろなものが輝いて見える春…も近い。

事情があってこのブログを書いている今日は雨水です。
ああ。なんだか春だなぁと思いました。まだまだ寒いのですが、光や香りや、自然 のものが少しずつ。


では皆様、素敵な週末をお過ごしください。
posted by 新和座制作部 at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 座員のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。