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2014年05月22日

ジレンマ

今回の公演『救いを求める女たち』を創り始めた時、一つのテーマが思い浮かびました。

それは
『”公”と”私”』
というものです。

新和座の作品の稽古では必ずと言って良いほど、演出目標というものを定めます。
例えば王女メディアであれば、「男と女の愛と情念」
だったり
サロメであれば、「守る」ということであったり…
物語・作品のテーマとは別に、舞台を作る上のテーマを設定します。
これは、出演者・スタッフの共通認識として、
役作りを行う際、照明や音、衣装などを考える際、演出方法を考える際などなど…
この作品を作る上で必ず拠り所にするものであり、
迷えば、この拠り所に戻る、という合言葉のようなものです。


今回、私はこの作品を演出する上にあたり、
演出目標を「公と私」(を表現する)ということにしました。


どんな人間でも”公”の部分と”私”の部分があると思います。
会社だったり、バイト先だったり、家族であったり…
自分以外の人間と接するとき、いろいろな”公”を背負う場合があると思います。

”公”をどう捉えるかにもよると思いますが…
”個”以外が公だと考えると…
例えば、座で仕事を行う場合などもそうですが・・・
「武藤さん」ではなく「新和座さん」と呼ばれることが多くあります。
この場合、例え僕が仕事を実際に行っていても、「新和座」の仕事として評価され、
時にはお叱りを受け、時にはお褒めいただき…という事があります。
つまり、僕の仕事ぶりは、「新和座」の評価に直結するわけです。

これは家族でも言えることだと思いますし、どんな組織でも言えることだと思います。

反面、僕にも個人の思想・時間・思いというのがあります。
もちろん、これらは誰にでもあります。

この個人の思いと”公”の意思というのは必ずしも一致しない場合があります。

その時、僕はどういう行動を取るのか…
その時、組織はどのような影響を僕に与えるのか…

こうしたことを今回の主人公・女9人に当てはめて考えました。


望まない結婚…個人では結婚したくない、という思い。
結婚すれば、一族郎党が反映する。でも粗暴な男と結婚なんてしたくない。
覚悟を決めて父祖の地を訪れた女たち。
この判断の源は個人の思いなのか…はたまた…

女たちが訪れた土地の人々は、女たちの懇願を受け入れるべきなのだろうか…
受け入れれば、女たちが逃れてきた国と争いとなり、
受け入れなければ、平穏なくらしのままかもしれない…
しかし、助けを求める者達を放っておく事は人として正しいのか…


こうしたジレンマ、葛藤が個人の心の中で、公の意思の中で戦っている物語が
『救いを求める女たち』であります。

人の心の中は常に葛藤があると思います。
どうにも我慢できない事が起きた時、個をとるのか、公をとるのか…
または…

救いを求める女たち、6月6日からアトリエ第7秘密基地にて上演♪
詳しくはこちらのページを御覧ください☆

皆様のお運び、心よりお待ちしております♪



posted by 新和座制作部 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 救いを求める女たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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