昼間は暑くなるけれど、朝は少し涼しくて、だから朝飲むコーヒーはいつもホットでした。
もう少ししたら朝からアイスコーヒーを飲みたくなるのでしょうか。
だけどまだ、湯気が立つあったかいコーヒーにほっとしている。
目元が痒くて、指先でなぞったらふわりと甘い香りがした。
そういえばさっき桃を剥いたのだったか。
もちろんおいしいけれど、食べ終わったあとまでなんだかほっこりする。
夏の果物は他の季節のものより瑞々しい感じがしますね。
今週は、びわに、さくらんぼに、ネクタリン、桃、バナナといろいろなフルーツを食べました。
あ、外国のも混ざっていますが。
朝起きて、乾いた喉に染み込むフルーツの瑞々しさは、夏の方が実感します。
果物の甘さは、お菓子とかの甘さとはまた別の甘さで、緩やかに感じて。
まだ半分寝ているような朝にぴったりなんです。そして少し贅沢。
皮を剥きながら香りを楽しみ、持っている間に滴る果汁から瑞々しさを感じ、最後に食べる。
工程がなんだか贅沢。
買ってから食べるまでに少し期間がある食べ物(野菜とか果物)には私は名前をつけてしまう習慣があるのですが、長いこと置いておくとやはり食べる時少し寂しくなります。
毎日見ていた南瓜に包丁を入れる瞬間とか。切っていって、煮て、食べてしまうのですが。
お肉と違って生きていることを感じにくい野菜とか果物も、生きているのだなと意識させられます。
改めて命をいただいているのだな、と思いながら今週も長い間一緒にいた南瓜(かぼちゃん)を調理しました。
祖父母の家が福島なので、子供の頃遊びにいくと夏にはいつも大量に桃があって、数えきれないくらい食べました。
子供だったから、その贅沢さがわかっていなくて、大人になってスーパーに並ぶ桃を見るとため息がでます。
桃って結構高いのね。あの頃はわからずばくばく食べてたな。桃の丸かじりとか沢山したけど今じゃとてもできない。
タイミングと期間を狙って買う桃は一パック二個入りのものだし、いつ食べようか考えながら、その日の朝は少し贅沢だぞって気合入れて皮を剥く。
懐かしいです。
桃を見るたびにもう子供の頃のことを思い出します。ここ数年。というかきっかけがあるとすぐに懐古してるような。
ああ長い時間を生きたなぁって言う程には生きていないけれど、それなりに時間が経ったのだなぁとしみじみ。
こんなことばかりですね。人生のそういう振り返る時期第一回目みたいなものに突入しているのかもしれません。
現代ものも好きですが、私はヴィンテージの食器類も少し持っていたりするので、気に入ったものが見つかると連れて帰ります。
ヴィンテージだから、気に入ったらその場で決断しないと大抵なくなります。
探して好みが見つかるものでもないので、たまにふらっと見にいって、気に入れば、という感じですが、そう簡単にはありません。
最近また久しぶりに気に入ったものと出会ったので連れて帰りました。
どういう経緯でここにあるのか想像してもしきれませんが、長い時間を超えての出会いはやっぱり不思議。
年代と国くらいは買う時に聞いています。 それで、想像するだけでいいのです。
ちょっとフランスっぽい色味だな、と思ったらアメリカのものだと聞いたミルクピッチャーを。年代は不明。
元々はどういうものを作っていたブランドだとか、お店の方に少し教えていただいたりして、また想像を膨らませる。
レンジ使えないし、割ってしまっても同じものは手に入れられないし、ちょっと不便ですが、だから大事に使っているということも言える気がします。
気に入った器に、吟味した食材を心を込めて調理した料理を乗せて食べる。
死ぬまで繰り返さなきゃいけないことだし、繰り返しているから麻痺してきて、適当でいいや!ってなったりする日もあるのですが、いやいかんいかんと、たまに気を引き締めます。
食べることは基本だからやっぱり適当じゃいけないな、と。適当にしだすとなんでも適当でいいやってなる気がして。
自分が取り込んだすべてで自分は出来上がっているのだから、
とても正直だし、偽らなくてもどうせありのままになるのだから、きちんと生きようと思う。
そんなんで今週はまた気を引き締めたりしたのでした。
せっかく食べているのだから、やっぱり適当はよくないですよね。いろいろな生き物の命をいただいてるわけだし……。
当たり前でも麻痺するのか、当たり前だから麻痺するのかはわからないけれど、これではよくない。
今週は考えることが多かったです。
それだけいろいろ出回ってしまったってことなのですが……。
インプットしすぎた。アウトプットと同時にできるほど器用じゃないので引き締めます。
今週も長くなりました。
皆様、素敵な週末をお過ごしください。