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2015年03月21日

その壁を超えるまで

あまり天気に恵まれないまま一週間が経ってしまいました。
エアプランツの花は終わってしまいました。
三つの蕾……だと思っていたのはやはりお花だったらしく、すべてが萎れてしまったところです。
さぁこれからどうなるのでしょうか。
あっという間で寂しいけれど、楽しませてもらいました。それにしても切ないですね。
蕾が膨らみ、色付き、枯れていく……。うわ、めっちゃ人生だ。と、というか私には全部が人生に見えるのか。大丈夫か?大丈夫です。
儚いものに弱いだけなのです。
今週は、以前失敗してしまった種類を更に追加。先週も追加したから同じ種類がふたつです。
種類内にも更に種類があるのですね。色違いってとこなのでしょうか。
お店に飾られていた寄せ植えが素敵すぎたので、いつかそんなふうに育てられたらいいなと思います。
にしても、最近花の話ばっかでつまんないんだけど、しかも一週間ってそんなに変化ないしさ、って感じになってきてしまったと思うのでそろそろ面白い話に移行したいところですが、今の私は植物に夢中なのでありました。

どんなことでも、結果ってすぐに出るものじゃないと思うのですよ。
日常、普段の生活から、人生から、仕事からすべてです。挑戦し、失敗し、学び、また挑戦し、克服し、前進し、とてもゆっくりなんですよね。
失敗せずに成功は私はないと思っていますし、 失敗することによって、成功よりも考えることがあるというのはむしろ可能性なんじゃないかと思っています。
だけど、どうしてか、失敗って辛かったり、苦しいイメージ。
私も以前は失敗を苦しかったり辛いと思っていたりしましたが、そこからの学びの輝きに気付くと世界って結構変わるものなのですよね。
成功の達成感はもちろん当たり前に素晴らしいけれど、失敗にも同じくらいの素晴らしいもの、可能性がある気がします。
成功の瞬間は、本当に一瞬なんです。そこに到達するその瞬間。でもそこに至るまでの地味な過程は、本当にただ地味なんです。
目標を見るのはいいけれど結果ばかり気にしていたらとても進めそうにないくらい。個人の努力は地味なものだと 思うし、孤独な作業、孤独な時間の積み重ねだと思います。
でも、その先にしかないものもあると思うのです。
もし、今何かに挑戦しようと思っていたり、挑戦している方がいらっしゃったら、結果や華やかさだけ見てほしくないと思います。
私もまだまだまだ未熟だし、過程にいるので、正解や結論は何一つ言えないのですが、そう思います。
一万時間の壁って本当にそうなんじゃないかな、と思います。
何かやることに対して、最初から自分は才能があるなんて思える人はほとんどいないと思います。
私の場合も同じで、むしろ幼い頃から、出来が悪い!と他方から言われてきたことにより、だったら普通の人より努力しないとだめなんだな、と思えた。それは逆 に有難いことだと今は思っています。
褒められるのも嬉しいのかもしれないけれど、私は褒められなくてよかったと思います。
自分が人の何倍も劣っていると思っていたから、人の何倍も努力しないとだめだと、卑屈でもなく、素直に、自然に、当たり前に思っていたし、できなくて当たり前だと思っていたから、結果で落ち込むこともありませんでした。それはただの真実という受け止め方でした。
ただ、その結果から、原因を探り、生かしていくことは必要ですが、それは自分を腐らせるためのものではありません。
頑張っていて、落ち込む人も沢山見てきたので、最近そう思うのです。今、挑戦している人がいたら、自分を信じてあげてほしいと思います。
そういう意味 で、結果より、過程が大事な場合もあるのではないでしょうか。もちろん、現実にはそうも言ってられないことの方が多いのですが、あくまで自分の中で、そういうことは大事だと思うのです。
自分を最後まで支えられるのは自分だけだし、信じてあげられるのも自分だけです。
ちょっとやって、結果がでなかった。向いていない。やめようって思う前に、もう少しその地味な時間を積み重ねてみてほしいのです。その地味で苦しい先にしかないものが見えると……思います。
絶対ではないのですけれどね。ただ、ゼロでもない。何かしら学べることはあります。思わぬ発見から派生したりもするし。
もちろん、才能がある方もいるのだと思います。でもそれは持った量の差です。完全な才能。神様みたいな才能はないのだと、私はそう思っています。
春が近づいて、きっと新しいことに挑戦を始める方が沢山いらっしゃるのだろうと思って、こんなことを書いてしまいましたが、私もまだまだ人生の途中なので、あくまで一意見として聞いていただければ嬉しいです。何かを語るにはまだ若すぎると思います。

気付けば、私もようやく一万時間の壁を越えたのか、越えようとしているのかというところだと、先日気付いたので、感慨深く思って、振り返ってました。
これからの方が長いですけどね!いやー……長かった。この十年も。一昔の十年!
素晴らしい経験をさせてもらえました。
お世話になった方々には深く感謝しております。
そして少しだけ、その時間で学んだことを形にできるようになってきた今。これからまた、新たに見聞を広めつつ、また違った方向にも目を向けていかなければいけない時期なのかと思っております。

……書いてて引退宣言みたいだなと気付いた。そんなことはないですよ。
大分長くなってしまいましたが、卒業という時期に合わせた、こんなテーマになりました。(だから挑戦も)
学生じゃなくなっても、きっと知らないうちにいろいろな卒業を繰り返していくのだと思いますし、私は成長のためにそうでありたいと思います。
前向きに……とは、前向きじゃないので言えませんが(←)

では皆様、素敵な週末をお過ごしください。
posted by 新和座制作部 at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 座員のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稽古場で打ち合わせ

劇団新和座の稽古場では…いわゆる「演技」をまったくしない日があります。
では何をしているのか…
雑談ともとれますが…打ち合わせに時間を割く事が多いのです。

台本を貰って、配役されて・・・役づくりをして行く際にはやはり色々な話し合いが必要であろうと私たちは考えています。

役者さんにとって、毎日台本を読んだり、解釈したり、確認したりという作業はとっても大事ですし、疎かにはできません。
しかし、たった一人でも作業できる事柄は限られて来ると思います。
舞台はほとんどの場合、複数人で作るわけですから、他の役者さんや、演出家、監督とお稽古場でもお稽古場外でもコミュニケーションをとる事は非常に必要だと考えています。
例えば、段取りだとか、動作の打ち合わせ、役について、作品についてなどなど・・・話すことは山ほどあるわけです。
こうしたコミュニケーションが取れていないと、いざ、お客様の前ではちぐはぐな作品になってきてしまうと私たちは考えています。


しかしながら、気をつけなければならないのは、20150320b.jpg段取り―――例えば、「私はこう動くから、あなたはこう動いてほしいの」―――というようなものばかりだと、段取りが先行するお芝居になってしまうと思うのです。
また、別の機会に書こうと思いますが、私たちは段取りと仕草と動作は別々のものであると考えています。ですので段取りだけ話していても、しっくりこない場合が出て来ると思います。
話し合い、コミュニケーションでは、その役と相手の役との関係性を確認したりすることが大事なのだと考えています。
多くの場合、段取りは演出家から指示が出ますが、この段取りを生かして、仕草を考えたり、生きる人(役)としてどう動くかということを考えるのも役者さんのお仕事だと思うのです。
芸術に答えはありません。
ですので、話し合い、コミュニケーションでも『?』と思う事があるかもしれません。
それを『!』に変えて行く事こそ、コミュニケーションの本質であろうかと思います。
それは役づくり、役に向かいあうことに非常に大切なものだと私たちは位置づけています。

コミュニケーションや話し合いは、一見すると時間もかかり、無意味なものであるかもしれません。
しかし、相手の考えやイメージを融合するのに、かなり有益な手段だと私たちは考えています。
posted by 新和座制作部 at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | パレードを待ちながら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする