logo.jpg

公式サイトはコチラから



2015年02月28日

今日で二月が終わりです。二月は少し少なくてなんだか損した気分になる…。
明日からは三月。三月とか。もう完全に響きが春ですよね。寒くても少しずつ服装も春っぽくしていかなきゃいけないと思うと…。
寒いのは苦手なんです。花粉もだんだんひどくなるんだろうなぁ。ここ数日、微妙に目がかゆい日があったりして。

先日は少し旅へ出ていました。
と、旅と言うとなんだか少し長いイメージがあって、旅行と言うべきなのか。そういえば深く考えたことなかったなぁと思って「旅」と「旅行」を辞書で調べてみましたが、ほとんど同じでした。
けれどなんとなく旅かな、と思いました。 微妙な語感の差ですが。
で、そんな旅に出ていたわけですが、また新たな体験ができたわけで、いろいろな神経が過敏になって細胞が活性化したようなこの感じが旅をする意味のひとつなのでしょうか。
基本的に私は、本来遠くへいくことを望まない性質なのです。
日々繰り返される小さなことに触れているのが安心というか、単にびびりなだけかもしれませんが。
繰り返される当たり前に感じるものが愛おしいと思うわけで、大きなものに憧れはあっても、結局選択させてもらえるって言われたって私はこの日常を望んでしまうんだろうなぁと思っています。
いろんな場所に行って、それはそれで素晴らしい経験があるのですが、日常そのへんを、いつもと変わらない風景を 見ながら、のんびりと空なんか見て、季節の空気を感じて、人の往来を見て歩いている時なんかが至福であって、もっと多く求めていると思っていたけれど、最近究極は?と自分に問うても結局はここに帰ってくるんじゃないかと思うのです。
あとはできれば、朝は美味しいコーヒーや美味しい紅茶なんか飲めれば言うことないんですよね。あとできれば一生気持ちには敏感でありたい。何かをキャッチできるセンサーみたいな部分は痛んでも過敏がいい。…意外とよくばりでした。
自分の幸せに気付くと怖いくらいですが。

そんな私が旅に出るのは大抵妹や家族なんかに誘われて行くことがほとんどで、実はそういうことこそ緊張をする性質なので、出かける三日くらい前から食 事が喉を通らなくなったり(←そんなにびびるならいかなきゃいいのに)でも行くとちゃんと楽しいんです。行くまでが面倒臭い性質。
ですが行ける時はちゃんと行くので、びびりな私を連れ出してくれるのはありがたい。旅は本当にいろいろな経験をさせてくれます。距離や時間は関係なく、得られるものはあると思います。
どんなものでも掛け替えのないものに思えて、ああこの一瞬を忘れたくないなぁと思うのに、そんなに人生を生きていないから、それがどこまで残ってくれるのかわからないのがたまらなく寂しくなります。記憶の問題だから形には残らないし、自分の中だけで再生できることだから、誰かや何かに委ねることもできない。
わかっていることは、ずっと同じ色や温度 のまま自分の中に残ることはないということだけです。変化する自分に合わせて、日々増える記憶によって、どうしても上塗りされる部分も出てくるだろうし、色褪せてもいく。
だけど、生きた中の大切な一瞬ということはどんな場面も変わりないので、もう思い出せなくなる前に、最後に一度くらいは撫でさせてもらえることができるのでしょうかね…。
と、考えてもわかりようもないことを考えて鬱々としたりしたのでした。大切なものが増えると、嬉しいはずなのに寂しくなりますよね。持つということはそういうことで、持たなきゃなくなりようがないけれど、持てばその瞬間から無くす可能性が生まれてしまう。何が幸せなのか、とても難しいです。
まぁ、無くすことを恐れて手ぶ らというのもなんなので、結局は持ちきれないくらい抱えたがるのですが、歳を重ねればもっとそういう感覚が変化するんだろうなぁ。


では皆様、素敵な週末をお過ごしください。
posted by 新和座制作部 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 座員のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする